20代男子が「日本のいちばん長い日」を見て感じたこと。


 

こんばんは、アブラハムです。

ひょんなことから、観たいなーと思っていた映画を見てきました。

 

 

「日本のいちばん長い日」という映画です。戦争映画はたくさんありますが、この作品は昭和天皇や時の内閣が切羽詰まった状況でいかに降伏を選択したか、というストーリーになります。戦場の悲惨な描写が少ない分、見やすいものだという印象を受けました。

詳しい話をするとネタバレになってしまいますが、この映画に登場する人はほぼ全員がそれなりに偉い人でもあり、それぞれの信条もあり、そしてそれを形に出来る力のある人ばかりです。勿論フィクションも入っているんでしょうが、天皇をはじめ、鈴木総理、そして陸軍大将、少佐に至るまで、それぞれの信じる日本の負け方を成し遂げるために、ぎりぎりの状況でも動き続ける、その姿勢に感動しました。

 


スポンサードリンク

 

終戦の日も近づいた今日、思いが冷めやらぬ内に、僕が感じたことを文章にしようと思います。

 


 

1. なぜ、この極限の状況に至るまで戦争を続けたのか

 

僕の知る限り、降伏へと踏み切るきっかけになったのはドイツの降伏、そして最後の一押しをしたのは原爆の投下とソ連の参戦です。日本は満州国の建国を機に国際社会から本格的に孤立していくことになりますが、実に10年以上もかけてこの破滅への道を進んでいったことになります。

勿論、軍部の暴走が最も許されないことではありますが、それまでに立ち止まるきっかけはなかったのでしょうか。何故、この日本という国を焦土にすることと、当時の人々のプライドとを天秤にかけ、前者を選び続けてしまったのでしょうか。

僕はスウェーデンにいた時に、スウェーデンの歴史も少し勉強しました。スウェーデンは小国であるが故に、大国に飲み込まれないため、そしてスウェーデンという国家の文化や資産を守りぬくために、中立の立場を選び、ドイツ・ソ連両方と時にはグレーな取引を行ってまでもその立場を守り抜きました。

ABCD包囲網を敷かれた時点から日本に勝ち目はなかったはずです。日本という国にとって最も傷の少ない負け方、美しい負け方というのは他にあった、少なくとも東京大空襲の時点で諦めることは出来なかったのでしょうか。そう思わずにはいられません。

 

そういう意味では、現在に至るまで、正式な意味での軍隊を持たないというのは暴走を防ぐという意味で賢明であるのかなぁ、と考えてしまいました。

 


 

 

2. なぜ、ここまで戦いの手を緩めなかったのか

 

逆に、アメリカはなぜここまで無慈悲な攻撃を続けたのでしょう。これまでずっと教育を受けてきましたし、自分なりに勉強もしてきました。しかしずっと分からなかったし、この映画を見て、余計分からなくなってしまいました。西洋諸国の無慈悲さは、まだ20代の僕であっても、アフガン侵攻やイラク戦争を振り返ると納得できますし、ある意味、西洋諸国の搾取癖自体が無慈悲なものであるのは否めません。

とは言え、負けると分かり切っている国に対して、焼夷弾みたいな畜生丸出しの爆弾を落として街全体を焼き尽くす、そして街全体を消し去ってしまうような攻撃を仕掛ける意味が僕には到底わかりませんでした。いくら日本がパール・ハーバーでルールを破ったからといえ。

今となっては友好国ですし、戦後復興という意味では(アメリカの都合の良い)豊かな日本へと再生してもらった恩もあります。しかしながら、だからと言って、日本としてのアイデンティティは維持しなければ、また無慈悲な鉄槌を落とされる可能性があるのだなぁと感じました。

 


 

 

3. 僕たちは、やはり平和ボケをしている

 

そして、この映画を見て、ここまで極限の状態に陥ることがなくなった僕たちのこの社会は、果たしていいことなのだろうか、と痛感しました。二度と戦争はしない。これは絶対なのはわかっています。

とは言え、現実に世界のどこかでは戦争が起きていて、いつ何時日本だって攻撃されるか分からない。そのような状況で、現実に目を向けずに平和の殻に閉じこもっているのは、とても危険なんだなぁ、ということを感じました。

僕は日本という国がとても大好きです。それは平和であり、裕福でもあり、そして文化的にも素晴らしい国であるからです。そんな日本を生涯守り続けていくために、政治家や官僚が考えてくれるから大丈夫、と思うのではなく、自分の頭で考えて、そして身体を動かす必要がもう少しあるのではないか。そう実感しました。

 


 

 

結論としては、2つのことを考えました。

 

まずは日本という国に対して。

僕自身は政治的には右でも左でもないですが、日本という国が好きだという点では右寄りですし、経済的信条では左寄り(反新自由主義)です。

日本が特異なのは、日本という国が2000年も存在し続けて、そしてその文化を共有している国が他にない(勿論中国や韓国からは多くの文化を吸収し、仏教国家という点ではアジア諸国と共有している部分はありますが)という点だと思います。だからこそ日本という国は世界中から尊敬され、僕みたいな人間でもちょっと誇らしくなれちゃう訳です。アメリカ・アメリカ大陸は文化的には西洋文明にほとんど駆逐されちゃった訳ですしね。

特に最近は大陸からの軍事的な圧力が増してきて、安保法制とかいうちょっと怪しいものも出てきてしまってますが、戦わない強国、というスタンスはとても大事だと思うし、それこそ日本のアイデンティティや文化を守るためには、反対意見が出ようが、ちょっとぐらいグレーなことに手を染めようが、大局的な判断をする人はブレちゃいけないと思います。だからと言って国民が不幸になるような場合にはそれにストップをかけられる力と頭脳を鍛えていく必要があると思いました。

日本を守れるのは、アメリカ人ではなく、日本人しかいない。

 

 

もう1つは、自分自身の生き方について。

今の僕の人生にはシリアスさが足りないな、と感じました。命を揺さぶられるような出来事はこれまでの人生で一度も起こったことはありません。なんとなく過ごして、なんとなく楽しいことをするのが当たり前になっています。

これは本当に先祖の方々に感謝すべきですし、21世紀に生きられることはとても幸せで、その幸せは享受し続けたいと思っています。だからこそ、別の部分で何かしら自分の人生における軸を作る必要があって、そこに向かって魂を燃やすことも大事なんじゃないか、そう感じました。

 

本当にしたいこと、そして本当に価値のあることに力を注いでいきたいと思いました。例えばですが、海外での経験を通して、僕はとても日本が好きになりました。日本人であることにとても誇りを感じるようになりました。僕は瓦ぶきの木造建築の街並みがとても好きです。そして事あるごとに仏様、そして神様(日本のね)に頭を下げお祈りする文化が大好きだし、これを守っていきたい。

そして、日本の自然を守りたいし、自然を愛する文化を守っていきたい。さらには、世代が代わっても、地方の大らかで幸せな生活を守っていきたい。都市に住むことで豊かさを維持できるような窮屈な国を作ってほしくない。

そのために勉強して、お金も貯めて、影響力のある人間になりたい。そう思う気持ちがさらに強くなりました。

 


 

若いくせにいろいろと語ってしまいましたが、最後に、ハフィントン・ポストが第二次世界大戦の最後の15日に関する記事を毎日更新しています。映画とのタイアップっぽいですが、ストーリーとクロスオーバーする部分もあって、とても心を動かされました。

http://www.huffingtonpost.jp/news/japan-ww2

是非、一度読んでみてください。ハフィントン・ポストというのが皮肉なところですが。

 

 

 

小説と、1967年に公開された昔の作品も観てみたいです。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>